第150回 「南龍公」とは誰のことかご存知ですか?

2024年の幕開けは、毎年恒例の干支のお話からスタートしましょう! 今年は辰年、動物にあてはめると龍ですが、想像上の動物のため、わからないことも多いのが実情です。でも映画やアニメ、ゲームといったファンタジーの世界ではすっかりおなじみ。畏れ多くて神々しい圧倒的な存在というのが一般的なイメージでしょうか。そこで今回は和歌山にちなんだ龍にまつわるトピックスを紹介します。

「南龍公」という名前を聞いたことはありますか? 南龍公とは、紀伊徳川家の初代藩主徳川頼宣のこと。文武に長けた頼宣は、没後に南龍公と呼ばれていたそうです。

頼宣は徳川家康の第10男で、元和5(1619)年7月、将軍秀忠の命により、駿府(静岡)から紀伊に入国し、紀州徳川家55万5千石の城主になりました。政治家としてとても優秀で、みかんの栽培をはじめあらゆる産業を奨励し、法令・教育などさまざまな分野で政策を打ち出しました。また和歌山城の改築、城下町の整備などを積極的に行い、藩の繁栄の基礎を築きました。

和歌山市和歌浦にある「紀州東照宮」は、家康の御廟として元和7(1621)年に頼宣が創建しました。「関西の日光」として名高く、権現造りの本殿には徳川家ゆかりの美術工芸品など貴重な品が多数収蔵されています。祭神は父家康と頼宣自らも祀られています。

写真は紀州徳川家の居城・和歌山城。歴代藩主とお付きの人だけが行き来できる御橋廊下と、美しく咲き誇る桜の季節の一枚です。こんもりと緑が茂る虎伏山にそびえる白亜の天守閣から見渡せる和歌山市街の眺望は絶景のひとこと。初代城主だった頼宣の目にはどのように映っていたのでしょう。

新しい一年の始まりに、現代の和歌山市の礎を築いた大いなる偉人の足跡をたどってみてはいかがでしょう。