第103回 『和歌山のシンボル・和歌山城と紀州藩について復習しましょう!』
2022年1月に、レジェンド司会者が街ブラをするNHKの某人気番組で和歌山城を取り上げていましたが、
和歌山で暮らす私たちでも知らないことが多かったように思えます。
そこで今回は和歌山城の成り立ちと紀州藩について、おさらいしてみましょう!
紀州藩歴代藩主の居城・和歌山城は、1585年に紀州を平定した豊臣秀吉が弟の秀長に築城させました。
1600年には関ケ原の戦いで功をたてた浅野幸長が入城。
そして1619年に徳川家康の第十男・頼宣が、浅野の旧領に南伊勢を加えた五十五万五千石で入部し、
紀州徳川家が治める紀州藩として成立しました。初代藩主となった頼宣は、
城の大規模改修をはじめ城下町の整備などに着手し、その後の藩の基礎を確立しました。
ご存知のように紀州藩は尾張藩、水戸藩に並ぶ御三家の1つです。
御三家は徳川姓を名乗ることができる特別な家柄であり、かつ大切な約束事があります。
それは「将軍家に跡継ぎがいない場合は御三家から養子を出すこと」。
この規定により、紀州藩からは第5代藩主吉宗(第8代将軍)と第13代藩主慶福(第14代将軍家茂)、
2人の将軍を輩出しました。
吉宗は時代劇「暴れん坊将軍」でもお馴染みですよね。
吉宗は紀州藩財政を再建した手腕により、享保の改革を中心とした政策を次々と敢行し、幕政を立て直しました。
また孝明天皇の妹宮・和宮親子内親王と結婚したことで知られる家茂は、条約勅許や攘夷決行といった難題に向き合いました。
紀州藩が生んだ2人の将軍は、重要な局面で先頭に立ち、幕政を取り仕切ったのです。
最後の主である第14代藩主茂承まで居城だった和歌山城は、今では市内随一の観光地として多くの人びとが訪れます。
緑茂る虎伏山にそびえ立つ白亜の天守閣からは街の様子が見渡せ、雄大に流れる紀の川が一望できます。
春には立派な桜が咲き誇る名所として、秋には美しい紅葉が城内を彩り、四季折々の風景が楽しめます。
また全国でも珍しい城内にある動物園は家族連れで賑います。
威風堂々とした存在感で御三家の威厳を今に伝える和歌山城は、今も昔も人々の心の拠り所なのです。