第199回 和歌山城を築城したのは誰?
2026年1月から豊臣秀吉、秀長をテーマとした大河ドラマが放送されていますね!
主人公はこれまであまりフィーチャーされなかった弟の秀長。兄の全国統一をサポートする活躍がこれから描かれることだと思われます。
豊臣と和歌山に関連する名所は、今後このブログでも随時お伝えしていくとして、まず紹介したいのが和歌山城です。和歌山城は徳川御三家・紀州藩の居城として広く知られていますが、築城したのは羽柴(当時)秀長なのです。

紀州征伐の功績により紀伊国を拝領し、支配することになった秀長に、秀吉が築城を命じたのがその始まり。秀吉は紀州征伐の際に遊覧した「和歌の浦」と、築城場所の地名「岡山」を合わせて「和歌山城」と命名したそうです。
もっとも秀長自身は大和郡山城に在城し、城代として桑山重晴が置かれました。築城は「築城の名人」と呼ばれる藤堂高虎らが務めました。

『和歌山城石垣散策MAP』によると、豊臣・桑山期における特徴は「紀州の青石」と呼ばれる緑色片岩を中心とした自然石をそのまま積み上げる「野面積み」です。
自然の石をほとんど加工せずに積み上げた石垣で、築石同士の隙間が大きく、凹凸が目立ちます。

虎伏山頂上から山裾にかけて多く分布する結晶片岩による野面積みの石垣が主に豊臣・桑山期のものと考えられています。
天守台の石垣は築城時に積まれた和歌山城のなかで最も古い石垣と考えられており、各所に転用石(石塔や石仏など)が見られるのが特徴です。

城内駐車場近くの「不明門跡」周辺にある石垣は、豊臣・桑山期の石垣に打込ハギの石垣が後で取り付けられた様子がわかるそうです。

砂の丸(北側)近くの「鶴の渓」周辺の石垣も豊臣・桑山期に積まれたものと考えられています。天守台石垣と比べると大ぶりな結晶片岩を用いた野面積み石垣です。

さまざまな形の石垣が現存しているのが和歌山城の大きな特徴。ぜひ城内を巡って、石垣の時代の変遷をたどってみてください!