第194回 吉宗公の「拾い親」伝説が残る『刺田比古神社』

第194回 吉宗公の「拾い親」伝説が残る『刺田比古神社』

和歌山城から南へ、緑豊かな岡公園を抜けてすぐ。
閑静な住宅街の一角に鎮座する『刺田比古神社』は、1000年以上もの歴史を誇る神社です。
岡(現在の和歌山市広瀬、大新、番丁、吹上、芦原、新南地区)の氏神として、地元では「岡の宮」さんの名で親しまれています。
また紀州藩初代藩主・徳川頼宣公が紀州入城の際に、和歌山城の守護神となりました。
2代藩主・光貞公以後は産土神として崇敬を受けました。

刺田比古神社には、徳川吉宗公の「拾い親」伝説が残されていることをご存知でしょうか? 
貞享元(1684)年、光貞公の四男として生まれた吉宗公は、誕生と同時に現在の和歌山城追廻門付近に捨てられたのですが、その際、同神社の神主が拾い親になりました。

もちろん本当に捨てられたわけではなく、これは厄払いの行事。
厄年に生まれた子どもは、捨て子にすれば丈夫に育つという風習がありました。

吉宗公のその後の立身出世は皆さんご存知の通り。
本来なら家督を継ぐことのない四男坊が紀州藩5代藩主となり、ついには正徳6(1716)年、将軍職に就くことになったのです。
この縁から吉宗公は将軍となった後も、同神社を崇拝していたそうです。

一度は捨てられた吉宗公が天下の将軍にまで出世したことから、刺田比古神社は開運のご利益がある神社として、多くの人々が参拝に訪れています。

今年11月には「と。―小麦とコーヒーと日本文化2025―」というイベントを開催。
格式ある神社の新たな取り組みとして注目を集めたのも記憶に新しいところです。

今年も残すところあと1カ月余り。2026年の開運を祈願しに、初詣に訪れてみてはいかがでしょう。